人はなぜ物事を客観的に見られないのか

現代哲学のお話をしていると「なるほど、それは、物事を客観的に見るということですか?」というご質問をいただきます。

はい、全く違います。

「客観的に見る」という言葉をよく調べてみると「客観的」に見ている人は誰か?ということになります。

それは「見ている人」自身であり、それって「主観」なんじゃないの?というお話。


よく現場で「あの人(部下)は物事を客観的に見られない」という愚痴をいただきます。

ええ、もちろん、言いたいことはよくわかりますよ。

その部下は何かにつけて感情に囚われたり、視座が狭かったりで「自分目線」でしか物事を見られないのですよね。

上司としては、もう少し頑張って欲しいところです。


でも、よくよく調べていくと、その人に物事を「客観的」に見る能力があるかどうか以前の問題として、そもそも仕組上、人は「客観的」に物事を見ることはできません。

そこを理解した上で「客観的に見る」という表現が何を意味しようとしているのか、ということをしっかりと理解し、言語化出来ていないと、説明はぼやっとしたものになってしまいます。

なんとなく理解しているから、なんとなくしか説明出来ない。

哲学の知識は物事の理解を明晰にし、表現力を冴えわたらせてくれるツールです。

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この記事を書いた人

クレメンティア代表世話人及び「新・哲学塾(仮称)」設立準備室室長。

普段は「エグゼクティブコーチ」として、上場企業から気鋭のベンチャー企業までシニアリーダーのリーダーシップ学習を支援。現代哲学に基づくクライアント自身の視座が上がるコーチングが特徴。「東京哲学会議」特別貢献会員。

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