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世界を見る一枚の地図

こんにちは、西洋哲学塾 塾長の山田です。

「専門バカ」という言葉がありますが、時に人は学べば学ぶほど物事が見えなくなります。

一方、テレビや雑誌の対談番組で全く分野の違う専門家同士がものすごく高次元の議論を語っている場面を見ることもあります。

分野は違えど、同じく到達した「境地」の話で意気投合している状態。

専門性を磨くことにより視野が狭くなっていく人と、専門性を通じて、普遍的な知恵に到達しているように感じられる人、一体何が違うのでしょうか?

もちろん、後々の活躍の度合いは後者の方が段違いに大きいです。


サイエンスを志す学生は、その前段階で、サイエンスとは何かを定義する哲学(=リベラルアーツ)をしっかり学びます。それは、自分達の領域の限界を知り、謙虚な姿勢で学問と社会に向き合っていくため。

「哲学」を筆頭とするリベラルアーツは、学ぶ人の自由な思考を育み、自らを取り巻く知識や制度の奴隷にならないようにするための学問です。

その真髄は、より大きな一枚の地図で世界を理解しようとする姿勢。

目的は、世界を「部分」ではなく「全体」でとらえること。

自分のいる分野を包み込むより大きな地図が見えていれば、自分の分野の専門バカになることはありません。

これがサイエンスの徒が、自分の研究に一見全く関係ないように思えるリベラルアーツを学ぶ意義。


冒頭の事例に戻ります。

専門性を通じて、普遍的な知恵に到達してしまう人は、何万時間の研鑽の結果「より大きな地図」「世界を示す座標軸」に到達している人なのでしょう。

私たちが専門性を通じてその領域まで行くには、もう何回か人生をやり直す必要がありそうです。。。

でも、もう一つ道があります。

それは常に「普遍」を明らかにしようとしてきた哲学者達の思考に触れること。

私自身が、実力も格もはるかに上の大企業のトップエグゼクティブとお話しして、何らかの価値を感じていただけるのも、哲学者の思考の肩に乗り「より大きな地図」で世界を捉えられているから。

知っているかいないか、触れたことがあるか否かでこれほど人生が左右される学問分野はありません。

8月にまた公開型の体験セミナーを行いますので、是非、引き続き情報をチェックしていただければと思います。

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この記事を書いた人

クレメンティア代表世話人及び「西洋哲学塾」塾長。

普段は「エグゼクティブコーチ」として、上場企業から気鋭のベンチャー企業までシニアリーダーのリーダーシップ学習を支援。現代哲学に基づくクライアント自身の視座が上がるコーチングが特徴。「東京哲学会議」特別貢献会員。

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