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Win-Win の魔力

「七つの習慣」によって広まった言葉として、第四の習慣である「Win-Win」があります。

自分が勝ち、相手も勝たせる。

しかしこのWin-Winという言葉自体から、損得を基準とした価値観が滲み出ているように感じるのは自分だけでしょうか。

今はお互いにメリットがある状態だから取引をするけど、メリットが無くなれば関係を絶って、もっとオイシイ話があればそれに飛びつく。

極論すればそんなあり方も良しとなってしまいます。

そのようなあり方をして長続きをしている人を見たことがありません。

これは人格主義を主張している作者の意図とは違うかもしれません。

ただ、これは誤解しているかどうかの話はなく、Win(勝ち)やLose(負け)の元になっている「勝負」の捉え方が引き起こしている問題と言えます。

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「勝負」という概念にはどうしても「勝>負」という価値の優劣関係が付いてしまいます。

それは、人間は、痛みを避け、快楽を欲するという性質を持っているからに他なりません。

やはり痛みを感じるLose(負け)は避けたい。

例えば、部下を叱れない理由として「部下のためにならない」とか「褒めることによって伸びることが科学的にも証明されている」という主張があります。

しかし、本音でいえば「部下に嫌われたくない」ということなのではないでしょうか。

部下が叱った方が伸びるか、褒めて伸びるかは当然ケースバイケースです。

また最近は「競争」よりも「共感」がもてはやされています。

その背景には「負けを避けたい」「傷つきたくない」という思いが一層強化されていることがあるようにも見えます。

言い換えれば、共感が、負けから逃れるための、痛みを感じないための戦術になっている。

競争であれば、いくらWin-Winと言ったところで負ける可能性は必ず残りますし、競争を前提にしているからこそ、わざわざWin-Winと言う必要がある。

しかしいずれにしろ「褒める」「Win-Win」「共感」などに背景には、「負け」から逃げたいという人間の本質が隠れている点では似ています。

「Win-Win」という言葉が広まった背景には、この「痛み止め効果」が多少なりとも働いていると思います。

痛み止めを飲み続けていれば、目の前の痛みは消えるかもしれませんが、本質的な問題は放置されたまま、知らないうちに広がっていくかもしれません。

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勿論この話は、不必要に「負けろ」という話ではありません。

そうではなく、本当に重要なことを前にして「負け」や「痛み」から逃げることで、本当に勝ちをつかんだり共感されるのか?ということです。

むしろ負けになったとしても続けるという覚悟が決まっているからこそ、勝てたり、共感が生まれる可能性が生まれるのではないでしょうか。

目の前の痛みを避けることによって、変化を自ら避けてしまう。
結果として、長期的な鈍い痛みとして自分に返ってくる。

もちろん、覚悟しただけでうまくいくほど現実は甘くありませんから、それは前提に過ぎません。

しかしそれでも「痛みを避けたい」というのが人間のサガ。

だからこそ「勝>負」という優劣関係をどう捉えるかの違いが、大きく人間の行動に影響します。

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この記事を書いた人

(プロフィール非公開)
講師陣の中でもっとも哲学者の思考に近い存在。
その血も涙もない論理展開は聞いている者を「ロジカル・ハイ」の世界に誘い、貼り付いている常識を引き剥がし、聞く者の思考を再構成させていく。
しかし、その根底から感じられるアツい想いが聞く者に中毒性をもたらしたりもしている。
時折、聞こえてくる異世界からのロジックをどうぞお楽しみください。

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