3月に入りました。
三寒四温という言葉どおり、暖かくなったり、また寒くなったりしながらも季節が進んでいるのを感じます。
ところでみなさん、春はお好きですか?
(花粉の件は別にして… ハックション!)
もう、遙か昔のことになりましたが、3月は卒業の季節、4月は入学の季節、私は春があまり好きではありませんでした。
誕生日があるので、特別感はあるものの、なんとなく心許ない気持ちになるのです。
春休みは、自分のアイデンティティを決めてくれていた「学校」という枠組が一度外される時期。
なんとなく毎日顔を合わせていた友人達も、会おうとしなければ会うこともありません。
哲学を学んだ今思い返すと、学校という枠組で外側から意味づけられていた自分の存在が曖昧になる「春休み」には
「何ものでもない自分」
「何も持っていない自分」
というのが露わになり、ひとり不安になっていたような気がします。
こういう感覚、子どもの頃に限らず、皆さん自身も感じたことはあるのではないでしょうか?
ある哲学者はこんなことを言っています。
「恐れ」には対象があるが、「不安」には対象がない 。
なんとなく不安な気持ちは、それがどこに向かっているのか理解することで解決出来ます。
健康なのか?
お金なのか?
時間の使い方なのか?
私自身、今でもいろいろと不安に感じることはありますが、対処の仕方はよく理解出来たような気がします。
余談ですが、この哲学者は、人の不安の根源とは、上にあげたものとは全く別のものだといっています。
この話はまた、どこかの機会で。
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