こんにちは、クレメンティア世話人の山田です。
導入ユニットも最終話となります。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
さて、当コミュニティのような場所にご登録いただく皆様は、学習と成長に意欲のある素晴らしい方だと思います。
正統性のない「正しい答え」
それはとても素晴らしいことですが、率直にお聞きすると、皆様は一体何のために学習をしているのでしょうか?
私の棲むコーチング業界を始め、セミナーや自己啓発の市場を観察していると、多くの人は「正しい答え」を求めて様々なコンテンツをさまよっているように私には見えます。
アカデミズムに裏付けられたものであるならまだしも、そのへんのおじさんやおばさん(失礼!)が「○○メソッド」なるものを捏造し、©や™などをつけ、さもそれが「正しい答え」であるかのように喧伝する。
それを受けて
「こっちへ行ったら正しい答えを教えてくれるのではないか」
「あっちへ行ったらすごいことを教えてもらえるのではないか」
と多くの人が右往左往し「少し結果を出した個人の意見」でしかないコンテンツに多額のお金を支払っている現状があります。
学習は「御朱印集め」ではない
もちろん、それでも、その人の思考力が上がっているのであれば良いのですが、はたしてその人達の物事を見る視座は上がっているのか、ひとつの事象の裏にある込み入った構造について洞察していく思考力は養われているのか、
そういったところが私たちの問題意識です。
かつて私は「今年は○○を学んだし、来年は何を学ぼうかな?」とつぶやく仲間を見てひっくり返りそうになりましたが、学習とは投資の対象であるべきで、嗜好品や娯楽のような「消費」の対象ではありません。
学習を「御朱印集め」かなにかと勘違いしているのでしょうか。
本来の学習の目的とは
すみません。少しエキサイトしてしまいました。
結論から申し上げると、私たちは、学習の目的とは「思考力を上げること」であると考えています。
哲学の世界を突き詰めていくと「この世界に正しい答えなどない」ということが理解できるようになってきます。学校では教えてくれませんが(逆に、学校は親切にも積極的に「正しい答え」を押しつけてくれますが)これこそが社会の本質。
であれば、私たちがこの社会において美しく成功していくためには、自らの思考力を養い、自分の考え方を確立していくしか方法はないのではないでしょうか。
そして「自分の考え方を確立する」とは、だれかのナントカ理論に寄りかかって自説を述べるということではなく、自らの批判力と思考力を養い、白地のキャンパスに自分で絵を描いていくということです。
「ナレッジ」と「オピニオン」の違い
東京哲学会議のHPでは、哲学という学問について「知識(ナレッジ)が単なる憶見(オピニオン)ではなく、真知(サイエンス)でありうるための根拠を探索する学問」であると説明されています。
学者ではない市井の一般人である私たちの考えが「オピニオン」を越えることはありませんが、少なくとも「哲学」という砥石によって思考が削られ、研磨されることにより、私たちの思考は思い込みを排した「白地」に近いものとなります。
そして、その上に打ち立てられる考えは、普通の人より純度の高いものとなっていくはずです。
そういうプロセスを経て磨き上げられた思考は、そこら辺の人とは全く違った輝きを発します。そして、他者への影響力も圧倒的に大きくなっていきます。
ビジネスにおいて、自らの存在や発言の影響力の大きさというのは結果を出す上での大きなファクターです。
そしてなにより、視点の高い見る人がみれば、その人の語る言葉の違いは一言聞けばわかるもの。違う次元へ移るようなチャンスは自分より力のある人からもたらされます。
私たちの本当の願い
でもね、そうした外的な成功や結果はもう当然のものとして、私たちが望むことは、そうしたプロセスを通じて、みなさまの精神が磨かれ、真の力量を備えた寛容で美しいあり方を身につけていただくこと。
そして、そのような影響力を皆様の業界で発揮し、業界を変えていくリーダーとなっていっていただくこと。私たちはそういう世界を目指しています。
私たちもまだまだ道半ばではありますが、普段からそういう気持ちで活動しておりまして、みなさまと共に意義のある人生を歩んでいくことができれば、わたしたち講師一同にとってこれほどの喜びはありません。
それでは、引き続き、コンテンツをお楽しみください。
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