「7つの習慣」の読書感想文続きです。
山田さんは【哲学mini探求01】で同じ近代哲学の考え方として「弁証法」を紹介していました。
ある主張(テーゼ)には必ず反論(アンチテーゼ)が生じ、それを踏まえて乗り越えた先に上位の思考(ジンテーゼ)にたどり着くという思考法です。
図にするとこんな感じでした。
ジンテーゼ(C)
↑
↑ アウフヘーベン
↑
テーゼ(A)←—→ アンチテーゼ(B)
この枠組みで「7つの習慣」が提示した「人格主義の方が、個性主義より優れている」という前提を捉え直すと、人格主義はテーゼ、個性主義はアンチテーゼの関係にあると言えます。
人格主義(テーゼ)←→ 個性主義(アンチテーゼ)
そう。「人格主義か?個性主義か?」の枠組みの中では、ジンテーゼが示されていません。
しかし、現代哲学では、既にこのジンテーゼ(C)が提示されています。
言い換えれば、すでに哲学的には、人格と個性の優劣の話ではなく、より上位概念としてこの問題は克服されているということです。
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ところが、この人格主義を一例とする思考は、今でも多くの人に説得力を持って受け取られています。
むしろ最近はビジネスの分野でもこの傾向は強まってきています。
「マーケティング以前に、企業のミッションが重要である」
「ビジネスの方法だけでなく、教養やリベラルアーツが必要」
では、なぜこの傾向が進んでいるのか?
世界が不安定になる程、人間は「安定」を求めてしまうからです。
人は「安定」を本能レベルで求めてしまうがゆえに、普遍性を感じさせる「原則」を求める。
言い換えれば、安定を求める人間の本能が「7つの習慣」に普遍性を感じさせてしまう。
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巷では、今までの世の中の仕組みや考え方の限界を指摘するような主張が増えてきています。
「現在の義務教育では、今後の社会で通用するような子供が育たない」
「短期的な利益ばかり追うのではなく、より長期的な視点を持とう」
この手の話について「変えなければならない」と思っている人もいますが、世界の見え方が近代のままでは、どうしても現状を捨てられない。
なぜならば、現状は全て誰かの「安定化」装置になっているのですから。
しかし、安定を求め続けることは、徐々に思考体力を奪う毒でもあります。
変化が激しい社会では、この安定の魔力に取り憑かれるほど、変化を拒み、逆に人生が不安定になってしまうこともあります。
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「7つの習慣」のそれぞれについて、まだ触れておりませんが、まずこの本の前提となる部分についての感想ということで書かせて頂きました。
次は『7つの習慣』に示されているそれぞれの習慣について、考えていきたいと思います。