こんにちは。
西洋哲学塾塾長の山田です。
クレメンティアでは私自身も新コーナーを担当させていただくこととなりました。題して『塾長のつぶやき』。
普段の現場や、西洋哲学塾を運営しながら日々考えていることを哲学思考も絡めながら、お届けしていきたいと思います。
クレメンティア参加者におかれましては、引き続き、視点を上げる思考のきっかけにしていただきたいと思いますし、
西洋哲学塾の現塾生の皆さまにおかれましては「編集後記」的にお読みいただけると、また、違った気づきがあるのではないかと思っています。
それでは、早速、以下、本題です。
自分の考え方を相手に伝えたとき、どういう回答がかえってくるかで相手の視点の高さが伺えます。
日々、自分よりステータスも能力も高い強者のみなさまと対峙していて感じる彼等/彼女らの特徴的な感想の表現があります。
それは「なるほど、腑に落ちました」というもの。
彼等/彼女らからは絶対に「共感しました!」「感動しました!」「しびれました!」とか、そんな薄っぺらい感想はありません。
普段、何も考えずそういうリアクションをしてしまっている人は、それが周囲にどのように伝わっているのか、今一度よく考えてみてくださいね。
さて、ここで「腑に落ちました」と発言される前提には、なにがあるのでしょうか?
そこには、何らかの明確な問題意識が横たわっています。
もちろん彼等/彼女らはそれについて、自分なりに調べ、学習し、考えていてある程度は理解しているけど、まだ芯は食っていない。
そんな問題について、私の説明で、もう一段先の視点から考え方の筋道を得られた時、その時に「腑に落ちました」という回答がかえってくるのだと理解しています。
「腑に落ちる」ためには結論に至る説明が必要です。
知識だけ語っていてもそれはゴミです。
説明にどれだけキレがあるか。
そのロジックを創る道筋を与えてくれるのが哲学というオチですが、こうして考えても、結構、実用的な学問といえます。
腑に落とすことが出来る人に対し、腑に落ちる説明ができるようになっていきましょう。