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ねっとりした資格

便宜上、私の名刺にはとあるコーチングの「資格」が表記されるのですが、初対面のビジネスパーソンの皆様からは、基本的に好奇の目で見られます。

「へぇ?、こんな資格あるんですね。」と、いう感じ。

これまで7年ちょっとプロのコーチとしてやっておりますが、水戸黄門の印籠のように「資格」を見て私のことを信頼していただいた事は未だかつてありません。

時には、露骨にお言葉をいただくこともあります。

「「コーチング」ってここ二十年ほどの資格でしょ。
そんなもので人のことがわかるとは思えないんだけど」と。

もちろん、僕の事を試していらっしゃると思うのですが、大企業の役員さんともなるとなかなかの迫力です。

これについては、自分が「資格」を見せられる立場になったとしても同じように思いますので、同調した上でコーチングのお話はせずに別の流れで説明をするようにしています。
(この方に関しては、私の事をパートナーに選んでいただけました。)


私自身「資格」に身を守られたことはないので、基本的に「資格ビジネス」に対しては距離を置くようにしているのですが、巷にあふれるいろいろな民間資格、みんな何のために高いお金をかけて習得しているのでしょうか。

私には疑問でなりません。

基本的に資格って「電気工事施工管理技士」とか「宅地建物取引士」みたいに「その行為をするのに必要な知識と技能を有している」以上の意味は無いはずです。

ですので、私もコーチとしての業務の遂行に必要なコーチングの資格を二つだけ持っています。

でも、電気工事とか不動産といったような「実業」の世界ではなく、私たちみたいな「虚業」の世界では、資格に対して「知識と技能を有していることの証明」以上の意味づけがあるような気がしてなりません。

あるものは「スタンプラリー」みたいな感じで収集の対象になったり。
あるものは、群れるための「共通のバッチ」みたいになっていたり。
あるものは、異端を排斥するための魔女裁判の道具になっていたり。

私たちの仲間でも資格ビジネスから卒業した者がおりますが、私たち「虚業」の業界では、お金と感情が絡み合って、このような味わい深い人間模様が至るところで繰り広げられています。

こうした、世の中から見たら異質なビジネスの構造が、実業の世界の人達から見ると怪訝な目で見られる一因となっています。


自分の身を守ってくれるのは「資格」ではありません。

信頼の源泉となるのは「証明書」や「肩書き」ではありません。

大事なのは、その口から「何が語られるか」であり、どのような世界観を見せられるか。

本当に顧客に価値を提供しよう、お客様と共に成長していこうと思われているならば、お金と感情に絡み取られて自分の可能性を閉じ込める「湿度」の高い資格の世界から卒業し、自分の足で歩かれることをお勧めします。

上述のコーチングをこき下ろしたエグゼクティブも、買っていただいたのは私の「資格」ではなく、私の「世界観」なのですから。

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この記事を書いた人

クレメンティア代表世話人及び「西洋哲学塾」塾長。

普段は「エグゼクティブコーチ」として、上場企業から気鋭のベンチャー企業までシニアリーダーのリーダーシップ学習を支援。現代哲学に基づくクライアント自身の視座が上がるコーチングが特徴。「東京哲学会議」特別貢献会員。

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