こんにちは、山田です。
さて、いきなり何の話や、というタイトルですが「哲学をインストールしたらどういう思考回路になるのか」というイメージについて、とても良い喩えを見つけましたのでご紹介します。
その前提として、喩えとして使う「映像の記録方式」についての説明が必要なので少しお付き合いください。
ご承知のとおり、映像というのは画像を連続で表示することで映像として認識されるものです。
例えば、最近よく見られる「4K60P」という記録スペックですと、4Kサイズの画像が1秒間に60枚記録に収められるという話です。
「4K60P」だとかなりキレイな画像が撮れますよね。
一方、当然、記録する画素数が大きくなればなるほど、また、1秒間に含まれる画像の数が大きくなればなるほど、合計のファイルサイズが重くなるわけで、近年、カメラの性能が上がっていることもあり、動画のサイズ感はとんでもないことになっています。
ですので、業界では様々な工夫を凝らしてサイズの圧縮に取り組んでおりまして、最近知ったその「圧縮方法」にシロートの僕はとても感動したというお話です。
映像の記録フォーマットに「XAVC」という規格があります。
4K時代の新フォーマットとしてソニーが開発した規格です。
その中にも小さく二つの分類がありまして、
XAVC-L(Long Group of Picture)
XAVC-I(All Intra)
の二つです。
これらは、規格は同じですが、記録の仕方が少し違います。
「XAVC-I」の方は、1秒間に60枚の画像全てが記録される方式(全部記録方式)。この場合、ファイルはとんでもないサイズになってしまいます。
なので「XAVC-A」の方は圧縮版の記録方式。
どのように圧縮するのかというと、1秒間に記録すべき60枚の画像全てを記録するのではなく「キーフレーム」からの変化量(色や動きなど)をデータとして記録するという方式。
再生時にはそのデータから60枚の画像を都度計算して再現し、映像にします。
わかりにくいのでイメージ図にすると。
XAVC-Iは全部記録方式。
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XAVC-Lはキーフレームからの変化量を記録する方式。
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■が画像で、アンダーバー( _ )が入っているところには画像は記録されておらず、最初のフレームからの変化量だけがデータとして記録されているという図です。
そして、映像を再生するときに都度都度計算して、間の画像を再現し、映像をつくりだすという方式です。
この二つの違い、なんとなくご理解いただけたでしょうか?
で、ここからが本題です。
圧縮版のXSVC-L方式は、ファイルサイズはかなり圧縮されるのですが、一つ問題がありまして、それは、再生や編集の際にパソコンの負担が大きくなると言う点。
だってそうですよね。
キーフレームからの変化量のデータを元に、いちいち演算して画像を再現するのですから、とんでもない演算量です。
なので、これを取り扱うには高スペックのパソコンが必要ということになります。
長くなりましたが、ここまでが、前段の御説明。
実は、哲学をインストールして視座が上がった景色って、XAVC-Lの記録方式に感覚が近いなと思っているんです。
全部記録方式の「XAVC-I」のように、具体的な情報をいっぱいもっていた方が、すぐにそれを取り出せるのでCPU(中央演算装置)である思考にかかる負荷は少ないです。
でも、重いし融通が利かない。
状況が変化したときや、複雑な状況における対応にも難があります。
一方「哲学」レベルの抽象度で世界を理解するというのは、全部記録方式みたいに具体的な情報(=すべての画像)を持たず、キーフレームと「具体」同志の関係性だけをゆるく握っておいて、使うときに都度計算してコンテンツを再現するみたいなイメージです。
この方式ですと、そもそも頭の中が軽やかですし、状況の変化や複雑さにも対応可能です。一方でCPUの性能が良くないと機能しません。
このあたりが、「テツガク?何それ美味しいの?」の記事で田中さんが説明してくれているようなOSとアプリの関係みたいな話の私なりの解釈です。
ここで皆様に良いお知らせです。
PCと違うのは、僕らの頭って「デジタル」ではないというところ。
「デジタル」の世界ですと、計算量が増えれば増えるほどCPUの負荷は上がりますが、人間の思考ってもっとダイナミックで、それとは全く異質のものです。
視座が上がれば上がるほどより統合的に物事を処理していきますので計算の負荷は増えません。いや、むしろ、より負荷が小さく早くなったりもします。
ここがデジタルとは全く異質な人間の能力の真髄。
ということで、思考の抽象度を上がった景色というのは「キーフレームからの変化量」だけを記録しておくXSVC-Lの記録方式に近く、
頭の中に具体を保持せず、知識と知識、メソッドとメソッドの関係性だけを理解しておくことで、現場現場でその状況に合うようにメソッドを編集して都度再現するということ。
これは、哲学が知の最上位の学問であるから可能なことです。
そして、これができるようになると、普段持つ情報は圧倒的に軽くてシンプルでよく、また、複雑な状況においても、より現場にあった対応ができるようになります。
無理難題もあんまり怖くなくなる…
かもしれませんね。
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