子どもをそうさせているもの

皆様はじめまして、岸本達也と申します。

本日からこちらに定期的に投稿させていただきます。

はじめての投稿ですので、今回は自己紹介を兼ねて書かせていただきます。


私の本業はフリースクールの運営です。

教室で主に不登校など動けなくなった子や、逆に自分を抑えられず暴れてしまう子たちと学習を通じて関わっています。

前職は20年間船乗りをやっていました。教室設立時は教育の分野では門外漢でした。

そんな私がこの仕事を始めたのは、商船学校を卒業後地元に戻り趣味で通いはじめた格闘技の道場で、荒れている子達と出会ったことがきっかけです。

今から40年ほど前のことになります。詳しくは機会がありましたらまた改めて。


道場で荒れている子ども達と関わっていた時期から、「この子だけ変えようとしても意味はないな」という感覚が私の中にありました。

当時はそのことを言葉にできていませんでしたが「この子達は自分でそうしたいと思ってやっているのではなく、何かにやらせられている」そんなものを感じていたからです。

当時の世間の考えとは全く異なる受け止め方であったはずです。


今後こちらのページに哲学用語としての「構造」という言葉が出てくると思います。

「構造」とは人を支配する仕組みのようなものです。

子ども達を暴れさせ、または動けなくさせているものが「構造」そのものなのかどうかは別として、人は自身の意思でやっていると思い込まされながら、やりたくもないことをやらされていることがあります。

そうであるのなら、対峙すべきは不登校や荒れている子そのものとその言動ではなく、その子達をそうさせているもの。

それが何者なのかを読み解き、突き崩すために必要なことを、哲学の世界観から知ることができました。


また、以前は感覚的に手探りで生徒達と関わってきましたが、具体的な対応やその背景にあるものを、少しずつ言葉で表すことができるようになり、より多くの生徒達と周りにいる大人の方々に手渡せるようになりました。

今後の投稿ではそのようなことをご紹介できたらと考えています。哲学の受け止め方の一つとしてお付き合いください。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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この記事を書いた人

フリースクール『寺子屋ありがとう』主宰
新潟市で不登校、非行、成績不振など課題を持つ子ども達と学習を通し関わる。前職は船乗り。
教育のための教育を受けたことはなく、自身の経験と感覚の下、手探りで仕事を進めてきた。
哲学を学ぶことで、必要とされる言葉を見い出し、手渡せるようになり、より確実に結果を残すようになる。
現在教室設立16年。
不登校であった卒業生160名以上全員が再登校している。

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